English-Video.net comment policy

The comment field is common to all languages

Let's write in your language and use "Google Translate" together

Please refer to informative community guidelines on TED.com

TED2009

Sophal Ear: Escaping the Khmer Rouge

ソーパール・イアー: クメール・ルージュからの脱出

Filmed
Views 532,750

TEDフェローであるソーパール・イアーがクメール・ルージュ支配下にあったカンボジアから脱出した家族の感動的な体験を話します。イアーの母が子どもたちを救うために選んだ知恵と決意を物語ります。

- Development economist
Sophal Ear leads research on post-conflict countries -- looking at the effectiveness of foreign aid and the challenge of development in places like his native land, Cambodia. Full bio

I normally通常は teach教える coursesコース on
私は戦後の国家再建の仕方を
00:12
howどうやって to rebuild再構築する states after war戦争.
教える仕事をしていますが
00:15
Butだけど today今日 I've私は got持っている aa personal個人的 storyストーリー to shareシェア with〜と you君は.
今日は自らの体験談をお話します
00:19
Thisこの is aa picture画像 of myじぶんの family家族,
これは私の家族の写真です
00:21
myじぶんの four4つの siblings兄弟 --- myじぶんの momママ andそして I --- taken撮影 in 1977.
1977年に撮った写真で 4人の兄妹 母 私が写っています
00:24
Andそして we're私たちは actually実際に Cambodiansカンボジア人.
私たちはカンボジア人ですが
00:28
Andそして thisこの picture画像 is taken撮影 in Vietnamベトナム.
この写真はベトナムで撮りました
00:30
Soそう howどうやって didした aa Cambodianカンボジア人 family家族 end終わり upアップ in Vietnamベトナム in 1977?
1977年にどうやってカンボジア人の家族がベトナムへ渡ったのでしょう
00:32
Wellよく to explain説明する thatそれ, I've私は got持っている aa shortショート videoビデオ clipクリップ
1975年から1979年の間の
00:36
to explain説明する theその Khmerクマー Rougeルージュ regime体制
クメールルージュ政権を
00:39
during 1975 andそして 1979.
説明する短いビデオを用意しました
00:41
Videoビデオ: April4月 17thth, 1975.
1975年4月17日
00:44
Theその communist共産主義者 Khmerクマー Rougeルージュ
共産党クメールルージュは
00:48
enters入る Phnomプノン Penhペン to liberate解放する their彼らの people
ベトナム侵略で起きる闘争やアメリカ軍の空爆から
00:50
fromから theその encroaching侵入する conflict紛争 in Vietnamベトナム,
人民を解放するために
00:53
andそして Americanアメリカ人 bombing爆撃 campaignsキャンペーン.
プノンペンを陥落しました
00:55
LedLED by〜によって peasant-born農民生まれ Polポール Potポット,
農家出身のポルポトに導かれ
00:59
theその Khmerクマー Rougeルージュ evacuates避難する people to theその countryside田舎
クメールルージュは共産党ユートピアをつくるため
01:02
in order注文 to create作成する aa rural農村 communist共産主義者 utopiaユートピア,
人々を農村へ移住させました
01:06
muchたくさん like好きな Maoマオ Tse-tung'sツェンタウンの Cultural文化的 Revolution革命 in China中国.
毛沢東の中国文化大革命と非常に似ています
01:09
Theその Khmerクマー Rougeルージュ closes終了する theその doorsドア to theその outside外側 world世界.
クメールルージュは外国と国交を絶ちましたが
01:15
Butだけど after four4つの years theその grim恐るべき truth真実 seeps湧き出る outでる.
4年後 国は酷い状況へと陥りました
01:19
In aa country of onlyのみ sevenセブン million百万 people,
人口わずか700万人の国において
01:23
one1 andそして aa halfハーフ million百万 wereあった murdered殺された by〜によって their彼らの own自分の leaders指導者,
150万人が自らの指導者により虐殺され
01:25
their彼らの bodies piled積み重なった in theその mass質量 graves of theその killing殺す fieldsフィールド.
キリングフィールドの集団墓地は死体の山となりました
01:29
Sophal洗練された Ear: Soそう, notwithstandingそれにもかかわらず theその 1970ss narrationナレーション,
このビデオで語られているのは事実です
01:33
on April4月 17thth 1975
1975年4月17日
01:36
we我々 lived住んでいました in Phnomプノン Penhペン.
私たちはプノンペンで暮らしていました
01:38
Andそして myじぶんの parents wereあった told言った by〜によって theその Khmerクマー Rougeルージュ
私の両親はクメールルージュに
01:40
to evacuate避難させる theその cityシティ becauseなぜなら of impending差し迫っている Americanアメリカ人 bombing爆撃 forために three days日々.
米軍の3日間に渡る空爆が差し迫っているため避難するように言われました
01:43
Andそして hereここに is aa picture画像 of theその Khmerクマー Rougeルージュ.
これはクメールルージュの写真です
01:47
They彼ら wereあった young若い soldiers兵隊, typically典型的には child soldiers兵隊.
兵士は若く だいたいは子どもでした
01:49
Andそして thisこの is very非常に normal正常 now, of modernモダン day conflict紛争,
これは現代の戦闘で よく見られる事です
01:52
becauseなぜなら they're彼らは easy簡単 to bring持参する into wars戦争.
子どもを戦争に送るのが簡単なためです
01:55
Theその reason理由 thatそれ they彼ら gave与えた about Americanアメリカ人 bombing爆撃 wasn'tなかった allすべて thatそれ far遠い offオフ.
米国による空爆の話は 全くの嘘ではありません
01:58
I mean平均, fromから 1965 to 1973 thereそこ wereあった
1965年から1973年に
02:02
moreもっと munitions軍需品 thatそれ fell落ちた on Cambodiaカンボジア
カンボジアに落とされた弾薬は
02:04
thanより in allすべて of World世界 War戦争 IIii Japan日本,
広島と長崎に投下された―
02:08
includingを含む theその two nuclear bombs爆弾
原子爆弾を含め
02:10
of August8月 1945.
日本が第二次大戦中に落とされた弾薬以上の量でした
02:12
Theその Khmerクマー Rougeルージュ didn'tしなかった believe信じる in moneyお金.
クメールルージュは お金の価値を信じていなかったので
02:15
Soそう theその equivalent同等 of theその Federal連邦 Reserve予備 Bankバンク
連邦準備銀行に相当する
02:18
in Cambodiaカンボジア wasあった bombed爆撃された.
銀行まで爆破し
02:20
Butだけど notない justちょうど thatそれ, they彼ら actually実際に banned禁止された moneyお金.
貨幣の使用を禁止しました
02:22
I think思う it'sそれは theその onlyのみ precedent先例 in whichどの
お金が廃止されたのは
02:25
moneyお金 has持っている everこれまで beenされている stopped停止 fromから beingであること used中古.
先例がないと思います
02:27
Andそして we我々 know知っている moneyお金 is theその rootルート of allすべて evil悪の,
お金は諸悪の根源ではありますが
02:29
butだけど itそれ didn'tしなかった actually実際に stopやめる evil悪の fromから happeningハプニング in Cambodiaカンボジア, in fact事実.
お金の廃止により カンボジアの悪事が止まることはありませんでした
02:31
Myじぶんの family家族 wasあった moved移動した fromから Phnomプノン Penhペン to Pursat追求する province.
私の家族はプノンペンからポーサット州へと移されました
02:35
Thisこの is aa picture画像 of what Pursat追求する looks外見 like好きな.
これはポーサットの風景です
02:39
It'sそれは actually実際に aa very非常に prettyかなり areaエリア of Cambodiaカンボジア,
カンボジアの中でも とてもきれいな地方で
02:41
whereどこで riceご飯 growing成長する takesテイク place場所.
稲作が行われる地域です
02:44
Andそして in fact事実 they彼ら wereあった forced強制された to work作業 theその fieldsフィールド.
人々は畑仕事を強制され
02:46
Soそう myじぶんの fatherお父さん andそして mother ended終了しました upアップ in
私の両親は 強制収容所に
02:48
aa sortソート of concentration濃度 campキャンプ, labor労働 campキャンプ.
行くことになってしまいました
02:51
Andそして itそれ wasあった at〜で thatそれ time時間 thatそれ myじぶんの mother got持っている wordワード
その頃 母は
02:54
fromから theその communeコミューン chiefチーフ
地域の長から
02:56
thatそれ theその Vietnameseベトナム語 wereあった actually実際に asking尋ねる
ベトナム人はベトナムへ戻るように
02:59
forために their彼らの citizens市民 to go行く backバック to Vietnamベトナム.
言われている事を聞きました
03:01
Andそして she彼女 spokeスポーク some一部 Vietnameseベトナム語,
母は子どもの頃 ベトナム人の
03:04
asとして aa child having持つ grown成長した upアップ with〜と Vietnameseベトナム語 friends友達.
友達がいたので ベトナム語が少し話せました
03:06
Andそして she彼女 decided決定しました, despite何と theその advice助言 of her彼女 neighbors隣人,
それで母は近所の人たちの反対があったにも関わらず
03:09
thatそれ she彼女 would〜する take取る theその chanceチャンス
一か八か ベトナム人であると
03:13
andそして claim請求 to be〜する Vietnameseベトナム語
主張することにしました
03:15
soそう thatそれ we我々 couldできた have持ってる aa chanceチャンス to survive生き残ります,
生き延びるためにしたことです
03:17
becauseなぜなら at〜で thisこの pointポイント they're彼らは forcing強制 everybodyみんな to work作業.
当時は みんな強制労働をさせられ
03:19
Andそして they're彼らは giving与える about ---
現代のカロリー制限のような
03:21
in aa modern-day現代, caloric-restrictionカロリー制限 dietダイエット, I guess推測 ---
食事を与えられていました
03:23
they're彼らは giving与える porridgeお粥, with〜と aa few少数 grains穀類 of riceご飯.
お米が数粒しか入っていないお粥です
03:26
Andそして at〜で about thisこの time時間 actually実際に
ちょうど この頃
03:30
myじぶんの fatherお父さん got持っている very非常に sick病気.
父が病気になりました
03:32
Andそして he didn'tしなかった speak話す Vietnameseベトナム語.
父はベトナム語は話せませんでした
03:34
Soそう he died死亡しました actually実際に, in January1月 1976.
父が1976年の1月に亡くなったことで
03:36
Andそして itそれ made itそれ possible可能, in fact事実,
この計画を実行させることが
03:39
forために us米国 to take取る on thisこの plan計画.
可能になったのです
03:42
Soそう theその Khmerクマー Rougeルージュ took取った us米国
クメールルージュは私たちを
03:44
fromから aa place場所 calledと呼ばれる Pursat追求する to Kaohカオ Tievティエフ,
ポーサットから
03:46
whichどの is across横断する fromから theその border境界 fromから Vietnamベトナム.
ベトナム国境沿いのコーチエブという場所に移しました
03:48
Andそして thereそこ they彼ら had持っていました aa detention留置 campキャンプ
そこには抑留所があり
03:51
whereどこで alleged主張された Vietnameseベトナム語 would〜する be〜する testedテストされた, language言語 testedテストされた.
ベトナム人だと思われる人の言語テストするのです
03:53
Andそして myじぶんの mother's母親の Vietnameseベトナム語 wasあった soそう bad悪い
私の母のベトナム語はとても下手だったので
03:57
thatそれ to make作る our我々の storyストーリー moreもっと credible信頼できる,
少しでも真実らしく見せるために
04:00
she'd彼女は given与えられた allすべて theその boys男の子 andそして girls女の子 new新しい Vietnameseベトナム語 names名前.
私たち子どもたちはベトナム語の名前がつけられました
04:04
Butだけど she'd彼女は given与えられた theその boys男の子 girls'女の子たちは、 names名前,
でも 母は息子には女の子の名前を
04:07
andそして theその girls女の子 boys'男の子たちは、 names名前.
娘には男の子の名前をつけてしまったのです
04:09
Andそして itそれ wasn'tなかった until〜まで she彼女 met会った aa Vietnameseベトナム語 ladyレディ
それは あるベトナム人女性と出会うまで
04:12
who told言った her彼女 thisこの, andそして then次に tutored教わった her彼女 forために two days日々 intensively集中的,
わかりませんでしたが 彼女は2日間に渡り 母にベトナム語の特訓をして
04:14
thatそれ she彼女 wasあった ableできる to go行く into her彼女 exam試験
母はテストの準備をしました
04:18
andそして --- you君は know知っている, thisこの wasあった aa moment瞬間 of truth真実.
それは まさに正念場でした
04:21
Ifif she彼女 fails失敗する, we're私たちは allすべて headed先行 to theその gallows教授;
もし失敗すれば 私たち家族は絞首刑となり
04:24
ifif she彼女 passesパス, we我々 canできる leave離れる to Vietnamベトナム.
パスできれば ベトナムへ行けるのです
04:27
Andそして she彼女 actually実際に, of courseコース --- I'm私は hereここに, she彼女 passesパス.
もちろん私がここにいるのも 母がパスしたからで
04:29
Andそして we我々 end終わり upアップ in Hongホン Nguヌグ on theその Vietnameseベトナム語 side.
私たちはベトナム側のホングーに落ち着き
04:33
Andそして then次に onwardsその後 to Chauチャウ Docdoc.
チョードックへと行きました
04:36
Andそして thisこの is aa picture画像 of Hongホン Nguヌグ, Vietnamベトナム today今日.
これは現在のホングーの写真です
04:38
Aa prettyかなり idyllic牧歌的な place場所 on theその Mekongメコン Deltaデルタ.
メコンデルタにある田園風の場所ですが
04:40
Butだけど forために us米国 itそれ meant意味した freedom自由.
ここは私たちには自由を意味していました
04:42
Andそして freedom自由 fromから persecution迫害 fromから theその Khmerクマー Rougeルージュ.
クメールルージュの迫害からの自由です
04:44
Last最終 year, theその Khmerクマー Rougeルージュ Tribunal裁判所,
去年 国連からの支援を受け
04:49
whichどの theその Uあなた.Nn. is helping助ける Cambodiaカンボジア take取る on,
クメールルージュ裁判が始まりました
04:52
started開始した, andそして I decided決定しました thatそれ asとして aa matter問題 of record記録
私は公判録を残すために
04:54
I should〜すべき fileファイル aa Civil市民 Complaint苦情
父の死に関して裁判に
04:56
with〜と theその Tribunal裁判所 about myじぶんの father's父親 passing通過 away離れて.
民事申し立てを提出することにしました
04:59
Andそして I got持っている wordワード last最終 month
そして先月 その申し立てが
05:02
thatそれ theその complaint苦情 wasあった officially正式に accepted受け入れられた by〜によって theその Khmerクマー Rougeルージュ Tribunal裁判所.
クメールルージュ裁判に正式に受領されたと聞きました
05:05
Andそして it'sそれは forために me aa matter問題 of justice正義 forために history歴史, andそして accountability説明責任 forために theその future未来,
この裁判は歴史上の正義であり 未来への責任を果たすことなのです
05:08
becauseなぜなら Cambodiaカンボジア remains残っている aa prettyかなり lawless無法者 place場所, at〜で times.
なぜならカンボジアは時として無法地帯となるからです
05:13
Five years ago myじぶんの mother andそして I went行った backバック to Chauチャウ Docdoc.
5年前 私は母と共に チョードックへ行きました
05:18
Andそして she彼女 wasあった ableできる to returnリターン to aa place場所
当時 カンボジアから脱出したばかりだったため
05:22
thatそれ forために her彼女 meant意味した freedom自由, butだけど alsoまた、 fear恐れ,
母には 自由を意味しながらも
05:24
becauseなぜなら we我々 had持っていました justちょうど come来る outでる of Cambodiaカンボジア.
恐怖を感じていた場所へ戻ったのです
05:27
I'm私は happyハッピー, actually実際に, today今日, to presentプレゼント her彼女.
今日は母を紹介でき 嬉しく思います
05:30
She's彼女は hereここに today今日 with〜と us米国 in theその audience聴衆.
母が来てくれました
05:34
Thank感謝 you君は mother.
お母さん ありがとう
05:36
(Applause拍手)
(拍手)
05:38
Translated by Takako Sato
Reviewed by Chieko Tamakawa

▲Back to top

About the speaker:

Sophal Ear - Development economist
Sophal Ear leads research on post-conflict countries -- looking at the effectiveness of foreign aid and the challenge of development in places like his native land, Cambodia.

Why you should listen

Elected to the Crescenta Valley Town Council in November 2015 for a 3-year term, encompassing more than 20,000 residents in unincorporated La Crescenta and Montrose, California, Sophal Ear, Ph.D., is a tenured Associate Professor of Diplomacy & World Affairs at Occidental College in Los Angeles where he lectures on political economy, security, development and Asia.

Previously, he taught how to rebuild countries after wars at the U.S. Naval Postgraduate School and international development at the Maxwell School of Syracuse University. He consulted for the World Bank, was Assistant Resident Representative for the United Nations in East Timor and Advisor to Cambodia's 1st private equity fund Leopard Capital. A TED Fellow, Fulbright Specialist, Term Member of the Council on Foreign Relations and Young Global Leader of the World Economic Forum, he sits on the board of the Nathan Cummings Foundation, Refugees International, Partners for Development, the Southeast Asia Resource Action Center, the Southeast Asia Development Program, Diagnostic Microbiology Development Program, the Journal of International Relations and Development (Palgrave), the International Public Management Journal (Taylor & Francis), Journal of South-East Asian American Education & Advancement (Purdue), and Politics and the Life Sciences (Cambridge University Press).

He is the author of Aid Dependence in Cambodia: How Foreign Assistance Undermines Democracy (Columbia University Press, 2013) and co-author of The Hungry Dragon: How China’s Resources Quest is Reshaping the World (Routledge, 2013). He wrote and narrated the award-winning documentary film "The End/Beginning: Cambodia" (47 minutes, 2011) based on his 2009 TED Talk and has appeared in four other documentaries.

A graduate of Princeton and Berkeley, he moved to the United States from France as a Cambodian refugee at the age of 10.

More profile about the speaker
Sophal Ear | Speaker | TED.com