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TEDxSydney

Barat Ali Batoor: My desperate journey with a human smuggler

バラット・アリ・バトー: 密入国斡旋人との絶望の旅

Filmed
Views 1,008,092

報道写真家のバラット・アリ・バトーはアフガニスタンに住んでいましたが、その仕事が危険を招き、国を脱出しなければならなくなりました。バトーはハザーラ人 ―歴史的に国を追われた民族―でしたが、彼自身もパキスタンへと脱出することになったのです。しかし、そこさえも危険だったのです。安全な場所を求める旅は、飛行機のチケットを買えばよいという容易なものではなく、彼は密入国斡旋人にお金を払い、船で亡命をしようとする移民者の一群に加わりました。彼の鮮烈な写真が、厳しい海の旅の様子を伝えます。

- Photojournalist
Barat Ali Batoor, an award-winning photojournalist, is a member of the Hazara people. He is based in Australia. Full bio

I am午前 aa Hazaraハサラ,
私はハザーラ人です
00:12
andそして theその homeland祖国
of myじぶんの people is Afghanistanアフガニスタン.
ハザーラ人の祖国はアフガニスタン
00:14
Like好きな hundreds数百 of thousands
of otherその他 Hazaraハサラ kids子供たち,
何十万人という
他のハザーラ人の子供たちと同じく
00:19
I wasあった bornうまれた in exile亡命.
私は流浪の民として生まれました
00:22
Theその ongoing進行中の persecution迫害
andそして operation操作 againstに対して theその Hazarasハザラ
ハザーラ人に対する迫害や
軍事行動が続く中
00:25
forced強制された myじぶんの parents to leave離れる Afghanistanアフガニスタン.
私の両親はアフガニスタンを
離れざるを得ませんでした
00:29
Thisこの persecution迫害 has持っている had持っていました aa long長いです history歴史
going行く backバック to theその late遅く 1800ss,
この迫害には長い歴史があり
1800年代後半の
00:33
andそして theその ruleルール of Kingキング Abdurアブダクション Rahmanラーマン.
アブドゥル・ラフマーン王 による
統治時代にまで遡ります
00:38
He killed殺された 63 percentパーセント of
theその Hazaraハサラ population人口.
彼はハザーラ人の63%を
死に至らしめました
00:41
He built建てられた minaretsミナレット with〜と their彼らの heads.
ミナレット(塔)を建て
彼らの頭蓋骨で飾りました
00:46
Manyたくさんの Hazarasハザラ wereあった sold売った into slavery奴隷,
多くのハザーラ人は奴隷として売られ
00:49
andそして manyたくさんの othersその他 fled逃げた theその country
forために neighboring隣接 Iranイラン andそして Pakistanパキスタン.
別の多くの者たちは隣国のイランや
パキスタンへと逃げていきました
00:51
Myじぶんの parents alsoまた、 fled逃げた to Pakistanパキスタン,
私の両親もパキスタンに逃亡し
00:58
andそして settled落ち着いた in Quettaクエッタ, whereどこで I wasあった bornうまれた.
クウェッタに落ち着き
そこで私は生まれました
01:00
After theその September9月 11
attack攻撃 on theその Twinツイン Towersタワーズ,
世界貿易センターが爆破された9.11テロの後に
01:03
I got持っている aa chanceチャンス to go行く to Afghanistanアフガニスタン
私は外国人ジャーナリストと共に
01:06
forために theその first最初 time時間,
with〜と foreign外国人 journalistsジャーナリスト.
初めてアフガニスタンを
訪れる機会を得ました
01:08
I wasあった onlyのみ 18, andそして I got持っている aa jobジョブ
workingワーキング asとして an interpreter通訳.
私は弱冠18才で
通訳としての仕事を得たのでした
01:11
After four4つの years,
4年後のことです
01:15
I feltフェルト itそれ wasあった safe安全 enough十分な
to move動く to Afghanistanアフガニスタン permanently永久に,
もう安全だろうと思い
アフガニスタンに永住することにしました
01:17
andそして I wasあった workingワーキング thereそこ
asとして aa documentaryドキュメンタリー photographer写真家,
そこで報道写真家として働き
01:21
andそして I worked働いた on manyたくさんの stories物語.
様々な記事を書きました
01:26
One1 of theその most最も important重要
stories物語 thatそれ I didした
その中で もっとも
印象的だったものの1つは
01:30
wasあった theその dancingダンシング boys男の子 of Afghanistanアフガニスタン.
アフガニスタンの
ダンシンシグ・ボーイのことです
01:33
Itそれ is aa tragic悲劇的な storyストーリー about
an appallingぞっとする tradition伝統.
それは おぞましい伝統のある
悲劇でした
01:38
Itそれ involves関係する young若い kids子供たち
dancingダンシング forために warlords軍隊
少年達が
将軍や地方社会の有力者のために
01:42
andそして powerful強力な men男性 in theその society社会.
踊らされるのです
01:46
Theseこれら boys男の子 are oftenしばしば abducted拉致された
orまたは bought買った fromから their彼らの poor貧しい parents,
少年達の多くは誘拐されたり
貧しさから親に売られたもので
01:48
andそして they彼ら are put置く to work作業 asとして sexセックス slaves奴隷.
性的奴隷として働かされています
01:51
Thisこの is Shukurシュクル.
この子はシュクールです
01:54
He wasあった kidnapped誘拐された fromから Kabulカブール by〜によって aa warlord軍人.
将軍によってカブールで誘拐され
01:57
He wasあった taken撮影 to another別の province,
別の地域へと連れて行かれ
02:01
whereどこで he wasあった forced強制された to work作業 asとして aa sexセックス slaveスレーブ
forために theその warlord軍人 andそして his friends友達.
将軍やその友人のために
性的奴隷として働かされたのです
02:03
Whenいつ thisこの storyストーリー wasあった published出版された
in theその Washingtonワシントン Post役職,
この報道はワシントン・ポストで
紹介されました
02:08
I started開始した receiving受信 death threats脅威,
私は脅迫され命を狙われるようになり
02:11
andそして I wasあった forced強制された to leave離れる Afghanistanアフガニスタン,
私の両親と同じく
02:13
asとして myじぶんの parents wereあった.
アフガニスタンを離れざるを得ませんでした
02:17
Along一緒に with〜と myじぶんの family家族,
I returned戻ってきた backバック to Quettaクエッタ.
家族と一緒にクウェッタに戻りました
02:19
Theその situation状況 in Quettaクエッタ had持っていました changedかわった
dramatically劇的に since以来 I left in 2005.
クウェッタの状況は私が去った2005年とは
劇的に変化していました
02:23
Once一度 aa peaceful平和な haven避難所 forために theその Hazarasハザラ,
ハザーラ人にとって安全な場所が
02:27
itそれ had持っていました now turned回した into theその most最も
dangerous危険な cityシティ in Pakistanパキスタン.
パキスタンで最も危険な都市へと
変貌していたのです
02:30
Hazarasハザラ are confined閉じ込められた into two small小さい areasエリア,
ハザーラ人は2つの狭い区域に
閉じ込められ
02:35
andそして they彼ら are marginalized疎外された socially社会的に,
educationally教育的に, andそして financially財政的に.
社会から教育面や経済面で
疎外されています
02:39
Thisこの is Nadir天底.
彼はナディールです
02:44
I had持っていました known既知の him since以来 myじぶんの childhood子供時代.
彼のことは子供の時から知っていました
02:45
He wasあった injured負傷した whenいつ his vanバン
wasあった ambushed潜伏した by〜によって terroristsテロリスト in Quettaクエッタ.
彼はクウェッタでバンに乗っていた時
テロリストの奇襲を受け負傷し
02:47
He later後で died死亡しました of his injuries負傷.
後に その怪我が原因で亡くなりました
02:51
Aroundまわり 1,600 Hazaraハサラ membersメンバー
1,600人ほどのハザーラ人が
02:55
had持っていました beenされている killed殺された in various様々な attacks攻撃,
様々な攻撃を受けて殺されています
02:59
andそして aroundまわり 3,000 of themそれら wereあった injured負傷した,
また3千人ほどが負傷し
03:02
andそして manyたくさんの of themそれら permanently永久に disabled無効.
その多くが回復することのない
身体障害者になっています
03:07
Theその attacks攻撃 on theその Hazaraハサラ communityコミュニティ
would〜する onlyのみ get取得する worse悪化する,
ハザーラ人社会に対する攻撃は
ひどくなる一方で
03:10
soそう itそれ wasあった notない surprising驚くべき
thatそれ manyたくさんの wanted欲しい to flee逃げる.
誰もが逃げ出したいと思っても
不思議ではありませんでした
03:14
After Afghanistanアフガニスタン, Iranイラン, Pakistanパキスタン,
アフガニスタン、イラン、パキスタンと
03:16
Australiaオーストラリア is home自宅 to theその fourth第4 largest最大
population人口 of Hazarasハザラ in theその world世界.
オーストラリアがハザーラ人の主な
第二の故郷となっています
03:21
Whenいつ itそれ came来た time時間 to leave離れる Pakistanパキスタン,
パキスタンを去るとなれば
03:28
Australiaオーストラリア seemed見えた theその obvious明らか choice選択.
オーストラリアが明らかな
選択肢となりました
03:31
Financially財政的に, onlyのみ one1 of us米国 couldできた leave離れる,
経済的な理由で
1人しか旅に出られません
03:33
andそして itそれ wasあった decided決定しました thatそれ I would〜する go行く,
そこで私が行くことにしたのです
03:35
in theその hope希望 thatそれ ifif I arrived到着した
at〜で myじぶんの destination safely安全に,
移住先に無事に辿り着いたら
03:36
I couldできた work作業 to get取得する theその rest残り
of myじぶんの family家族 to join参加する me later後で.
仕事を見つけた後に家族を
呼び寄せることができると願ったのです
03:40
We我々 allすべて knew知っていた about theその risksリスク,
誰もが危険を承知していて
03:45
andそして howどうやって terrifying恐ろしい theその journey is,
厳しい旅になると分かっていました
03:46
andそして I met会った manyたくさんの people
who lost失われた loved愛された onesもの at〜で sea.
愛する人を海で失った人に
数多く会いました
03:49
Itそれ wasあった aa desperate絶望的な decision決定 to take取る,
to leave離れる everythingすべて behind後ろに,
全てをそこに残していく
悲壮の決断は
03:54
andそして noいいえ one1 makes作る thisこの decision決定 easily簡単に.
誰だって容易に下せるものではありません
03:58
Ifif I had持っていました beenされている ableできる
to simply単に fly飛ぶ to Australiaオーストラリア,
オーストラリアまで
飛行機に乗って行くだけなら
04:01
itそれ would〜する have持ってる taken撮影 me
lessもっと少なく thanより 24 hours時間.
24時間もかかりません
04:03
Butだけど getting取得 aa visaビザ wasあった impossible不可能.
しかしビザを取得することができません
04:06
Myじぶんの journey wasあった muchたくさん longerより長いです,
私の旅は遥かに遠く
04:10
muchたくさん moreもっと complicated複雑な,
複雑なものであり
04:12
andそして certainly確かに moreもっと dangerous危険な,
言うまでもなく危険なものでした
04:14
traveling旅行 to Thailandタイ by〜によって air空気,
まずタイまで空路で行き
04:17
andそして then次に by〜によって road道路 andそして boatボート
to Malaysiaマレーシア andそして into Indonesiaインドネシア,
次に陸路と船でマレーシア
そしてインドネシアへと進んでいきました
04:20
paying払う people andそして smugglers密輸業者 allすべて theその way方法
密入国斡旋人やいろんな人にお金を払いながら
04:25
andそして spending支出 aa lotロット of time時間 hiding隠蔽
長い時間 身を隠し
04:27
andそして aa lotロット of time時間 in fear恐れ of beingであること caught捕らえられた.
捕まるのではないかと
長い時間 怯えることもありました
04:30
In Indonesiaインドネシア, I joined参加した aa groupグループ
of sevenセブン asylum亡命 seekersシーカー.
インドネシアでは7人の亡命希望者からなる
集団に加わりました
04:34
We我々 allすべて shared共有 aa bedroom寝室
ボゴールというジャカルタ郊外の町で
04:38
in aa townタウン outside外側 of Jakartaジャカルタ calledと呼ばれる Bogorボゴール.
全員が1つの部屋で過ごしました
04:41
After spending支出 aa week週間 in Bogorボゴール,
ボゴールで1週間過ごした後
04:45
three of myじぶんの roommatesルームメイト
left forために theその perilous危険な journey,
3人のルームメートが
危険な旅に出立しました
04:47
andそして we我々 got持っている theその newsニュース two days日々 later後で
その2日後に知らせを耳にしました
04:50
thatそれ aa distressed苦しい boatボート sank沈んだ
in theその sea enエン routeルート to Christmasクリスマス Island.
クリスマス島への航路の半ばで
船は遭難して沈んだのです
04:54
We我々 found見つけた outでる thatそれ our我々の three roommatesルームメイト ---
Nawrozナウロズ, Jaffarジャファー andそして Shabbirシャビール ---
その船にはルームメートの
ナウロス、ジャファー、シャビールの3名も
04:59
wereあった alsoまた、 among thoseそれら.
乗っていました
05:03
Onlyのみ Jaffarジャファー wasあった rescued救出された.
ジャファーだけが助け出されました
05:05
Shabbirシャビール andそして Nawrozナウロズ wereあった never決して seen見た again再び.
シャビールとナウロスは
帰らぬ人となってしまいました
05:07
Itそれ made me think思う,
私は自問しました
05:11
am午前 I doingやっている theその right thingもの?
これでいいのだろうか?
05:12
I concluded結論 I really本当に had持っていました
noいいえ otherその他 choice選択 butだけど to go行く on.
結論を出しました
「他に選択肢など無い 先に進めと」
05:15
Aa few少数 weeks later後で, we我々 got持っている theその callコール
fromから theその people smuggler密輸業者
数週間後 密入国斡旋人から
05:19
to alertアラート us米国 thatそれ theその boatボート is ready準備完了 forために us米国
to commence始める our我々の sea journey.
船で出港する準備が 整ったとの
連絡が入りました
05:23
Taken撮影 in theその night towards方向 theその mainメイン vessel容器
夜半にモーターボートに乗せられて
05:28
on aa motorboatモーターボート,
母船へと乗り込みました
05:30
we我々 boardedボード付き an old古い fishing釣り boatボート
thatそれ wasあった already既に overloaded過負荷.
その古びた漁船に乗ってみると
既に過積載状態でした
05:32
Thereそこ wereあった 93 of us米国,
乗船している93人は
05:37
andそして we我々 wereあった allすべて below以下 deckデッキ.
船底に閉じ込められ
05:39
Noいいえ one1 wasあった allowed許可された upアップ on theその top.
誰も甲板に出ることを許されませんでした
05:41
We我々 allすべて paid支払った 6,000 dollarsドル each
この航海だけで誰もが
05:43
forために thisこの part of theその trip旅行.
約70万円を支払いました
05:47
Theその first最初 night andそして day went行った smoothlyスムーズに,
初日の夜と昼は穏やかでした
05:49
butだけど by〜によって theその second二番 night,
theその weather天気 turned回した.
しかし二晩目に天候が変わりました
05:51
Waves tossed投げた theその boatボート aroundまわり,
andそして theその timbers木材 groaned嘆きの.
波が船を激しく揺らし
船の板がギシリと悲鳴を上げました
05:54
People below以下 deckデッキ wereあった crying泣く,
praying祈る, recalling想起する their彼らの loved愛された onesもの.
甲板の下にいた人々は 泣き叫び
祈り そして愛する者のことを想いました
05:59
They彼ら wereあった screaming悲鳴を上げる.
皆 叫びました
06:03
Itそれ wasあった aa terribleひどい moment瞬間.
恐怖のひと時でした
06:05
Itそれ wasあった like好きな aa sceneシーン fromから doomsday最悪の日,
まるでドゥームズデイの1シーンか
06:07
orまたは maybe多分 like好きな one1 of thoseそれら scenesシーン
fromから thoseそれら Hollywoodハリウッド movies映画
全てが破壊し
世界の終わりを迎える
06:11
thatそれ showsショー thatそれ everythingすべて
is breaking壊す apart離れて
そんなハリウッド映画のシーンの様でした
06:16
andそして theその world世界 is justちょうど endingエンディング.
そんなハリウッド映画のシーンの様でした
06:19
Itそれ wasあった happeningハプニング to us米国 forために realリアル.
そんなことが現実となって
我々に降りかかったのです
06:22
We我々 didn'tしなかった have持ってる anyどれか hope希望.
もはや望みなど残されていません
06:24
Our我々の boatボート wasあった floatingフローティング
like好きな aa matchboxマッチ箱 on theその water
船を操ることはできず
06:29
withoutなし anyどれか controlコントロール.
水に浮かぶマッチ箱の様に
漂うばかりでした
06:32
Theその waves wereあった muchたくさん higher高い thanより our我々の boatボート,
波高は船よりもはるかに高く
06:34
andそして theその water poured注がれた in fasterもっと早く
thanより theその motorモーター pumpsパンプス couldできた take取る itそれ outでる.
ポンプが吐き出すよりも早く
水が入り込んできます
06:38
We我々 allすべて lost失われた hope希望.
皆 望みを失いました
06:44
We我々 thought思想, thisこの is theその end終わり.
皆が思いました もはやこれまでだと
06:47
We我々 wereあった watching見ている our我々の deaths,
皆が死を目の当たりにする中
06:49
andそして I wasあった documenting文書化する itそれ.
私はこのことを記録に残していました
06:51
Theその captainキャプテン told言った us米国
船長が告げました
06:54
thatそれ we我々 are notない going行く to make作る itそれ,
「目的地には辿りつけない
06:56
we我々 have持ってる to turn順番 backバック theその boatボート.
船を引き返さなければならない」
06:58
We我々 went行った on theその deckデッキ
我々は甲板に上がり
07:01
andそして turned回した our我々の torchesトーチ on andそして offオフ
トーチを点滅させ
07:03
to attract引き付ける theその attention注意
of anyどれか passing通過 boatボート.
近くを通る船に気づいてもらおうと
しました
07:06
We我々 kept保管 trying試す to attract引き付ける their彼らの attention注意
by〜によって waving波打つ our我々の life生活 jacketsジャケット andそして whistlingホイッスル.
注意を引きつけようと 救命胴衣を振りかざし
笛を鳴らし続けました
07:11
Eventually最終的に, we我々 made itそれ to aa small小さい island.
ついには小さな島に辿りつきました
07:18
Our我々の boatボート crashingクラッシュ onto〜に theその rocks,
船が岩に座礁し
07:22
I slippedスリップした into theその water
私は水中に投げ出され
07:25
andそして destroyed破壊されました myじぶんの cameraカメラ,
whateverなんでも I had持っていました documented文書化された.
全てを記録した私のカメラは
壊れてしまいました
07:27
Butだけど luckily幸運にも, theその memory記憶 cardカード survived生き残った.
しかし幸いなことに
メモリーカードは無事でした
07:31
Itそれ wasあった aa thick厚い forest森林.
そこには密林がありました
07:36
We我々 allすべて splitスプリット upアップ into manyたくさんの groupsグループ
asとして we我々 argued主張した over以上 what to do行う next.
我々は多くのグループに分かれ
次にどうすべきか話し合いました
07:39
We我々 wereあった allすべて scared怖い andそして confused混乱した.
皆 恐怖におびえ 混乱していました
07:44
Then次に, after spending支出
theその night on theその beachビーチ,
その夜は海岸で過ごしましたが
07:47
we我々 found見つけた aa jetty桟橋 andそして coconutsココナッツ.
翌日には防波堤と
ココナッツの木を見つけました
07:50
We我々 hailed歓迎された aa boatボート fromから aa nearby近所の resortリゾート,
近くのリゾートからの船に声を掛けましたが
07:53
andそして then次に wereあった quickly早く handed手渡された over以上
to Indonesianインドネシア語 water police警察.
そしてたちまち インドネシアの
海上警察に引き渡されました
07:56
At〜で Serangセラン Detention留置 Centerセンター,
セランの拘置所に
08:00
an immigration移民 officer役員 came来た
andそして furtively虚偽 strip-searchedストリップ検索された us米国.
入国審査官が来て
各々 服を脱がせて持ち物を調べました
08:04
He took取った our我々の mobileモバイル, myじぶんの $300 cash現金,
彼は我々の携帯電話と
私の300ドル それに
08:09
our我々の shoes thatそれ we我々 should〜すべき notない
be〜する ableできる to escapeエスケープ,
逃亡を防ぐために靴を取り上げました
08:12
butだけど we我々 kept保管 watching見ている theその guards警備員,
checking点検 their彼らの movements動き,
しかし我々は 警備員の動きを逐一観察し
08:15
andそして aroundまわり 4 aa.mm.
whenいつ they彼ら sat座っている aroundまわり aa fire火災,
彼らが朝の4時頃に
火の周りで暖を取っている時
08:21
we我々 removed除去された two glassガラス layers
fromから an outside外側 facing直面する window
外側に面する2重ガラスを外し
08:25
andそして slippedスリップした throughを通して.
抜け出しました
08:29
We我々 climbed登った aa tree next to an outerアウター wall
thatそれ wasあった topped一位 with〜と theその shards破片 of glassガラス.
外壁にはガラスの破片が埋め込まれていましたが
横の木を登ると
08:30
We我々 put置く theその pillow on thatそれ
我々は 枕をガラスの上に置き
08:35
andそして wrapped包まれた our我々の forearms前腕 with〜と bedsheetsベッドシーツ
ベッドカバーを手に巻き付け
08:38
andそして climbed登った theその wall,
壁を登りました
08:41
andそして we我々 ran走った away離れて with〜と bare feetフィート.
裸足で逃走し
08:43
I wasあった free無料,
私は逃げおおせました
08:47
with〜と an uncertain不確実な future未来,
この先 どうなるか分りません
08:49
noいいえ moneyお金.
お金もありません
08:51
Theその onlyのみ thingもの I had持っていました wasあった theその memory記憶 cardカード
with〜と theその picturesピクチャー andそして footage映像.
持っていたものは唯一
写真と映像を記録したメモリーカードだけです
08:53
Whenいつ myじぶんの documentaryドキュメンタリー wasあった aired放映された
on SBSSBS Datelineデータライン,
私のドキュメンタリーが
SBS Datelineで放映された時に
09:00
manyたくさんの of myじぶんの friends友達 came来た to know知っている
about myじぶんの situation状況,
私の状況は多くの友人たちの知る所となり
09:04
andそして they彼ら tried試した to help助けて me.
助けようとしてくれました
09:06
They彼ら didした notない allow許す me to take取る
anyどれか otherその他 boatボート to riskリスク myじぶんの life生活.
友人たちは命がけの航海を
2度と許してはくれませんでした
09:08
I alsoまた、 decided決定しました to stay滞在 in Indonesiaインドネシア
andそして processプロセス myじぶんの case場合 throughを通して UNHCRunhcr,
私はインドネシアに留まりUNHCR(国連難民
高等弁務官事務所)で手続きを行うことにしました
09:12
butだけど I wasあった really本当に afraid恐れ
thatそれ I would〜する end終わり upアップ in Indonesiaインドネシア
しかし何年もの間 インドネシアで
09:16
forために manyたくさんの years doingやっている nothing何も
andそして unableできない to work作業,
他の亡命希望者と同様に
何もせず 働くことも出来なくなるのではと
09:20
like好きな everyすべて otherその他 asylum亡命 seekerシーカー.
とても憂慮しました
09:24
Butだけど itそれ had持っていました happened起こった to be〜する
aa little少し bitビット different異なる with〜と me.
しかし 自分にはちょっと
違うことが起こりました
09:27
I wasあった lucky幸運な.
私は幸運だったのです
09:30
Myじぶんの contacts連絡先 worked働いた to expedite迅速化する
myじぶんの case場合 throughを通して UNHCRunhcr,
私の担当者は
UNHCRの処理を迅速に進め
09:35
andそして I got持っている resettled再定住した
in Australiaオーストラリア in Mayかもしれない 2013.
2013年5月にオーストラリアに
移住することが出来たのです
09:40
Notない everyすべて asylum亡命 seekerシーカー is lucky幸運な like好きな me.
亡命希望者が皆
私の様に幸運ではありません
09:45
Itそれ is really本当に difficult難しい to liveライブ aa life生活
with〜と an uncertain不確実な fate運命, in limboリムボ.
不確かな運命 宙ぶらりんな状態で
生きていくことはとても困難です
09:49
Theその issue問題 of asylum亡命 seekersシーカー in Australiaオーストラリア
オーストラリアでは
亡命希望者の扱いが
09:56
has持っている beenされている soそう extremely極端な politicized政治化された
非常に重要な政治問題となっており
10:00
thatそれ itそれ has持っている lost失われた itsその human人間 face.
人道的な側面を失っています
10:03
Theその asylum亡命 seekersシーカー have持ってる beenされている demonized悪魔化した
andそして then次に presented提示された to theその people.
亡命希望者は邪魔者扱いにされ
人々の前にさらけ出されます
10:06
I hope希望 myじぶんの storyストーリー andそして theその storyストーリー
of otherその他 Hazarasハザラ
私の体験や
他のハザーラ人の境遇が
10:12
couldできた shed杼口 some一部 light to showショー theその people
人々の知るところとなり
10:16
howどうやって theseこれら people are suffering苦しみ
in their彼らの countries of origin原点,
こういった人達が
祖国で迫害を受け
10:19
andそして howどうやって they彼ら suffer苦しむ,
どう苦しんでいるか分かって頂けたらと
願っています
10:24
whyなぜ they彼ら riskリスク their彼らの lives人生 to seekシーク asylum亡命.
命を懸けてまで
なぜ亡命を願うのでしょう?
10:28
Thank感謝 you君は.
ありがとうございました
10:32
(Applause拍手)
(拍手)
10:34
Translated by Tomoyuki Suzuki
Reviewed by Masako Kigami

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About the speaker:

Barat Ali Batoor - Photojournalist
Barat Ali Batoor, an award-winning photojournalist, is a member of the Hazara people. He is based in Australia.

Why you should listen

Barat Ali Batoor is a member of the Hazara ethnic group, once from Afghanistan, then driven into Pakistan. He started work as a photographer in 2002, documenting his people's ancestral home of Afghanistan. His photos have appeared in the Washington Post, Newweek, the Wall Street Journal, Stern and many other publications. He held his first solo exhibition in 2007, and has been exhibited around the world.

Watch a short conversation with Batoor in the TEDxSydney studio >>

More profile about the speaker
Barat Ali Batoor | Speaker | TED.com